お彼岸の墓掃除2017

寒いといいながら、春の彼岸の時期が近づきましたね。

墓掃除

我が家の、墓を掃除して彼岸を迎える準備をしました。

自宅から徒歩で数分の裏山に、実父の生家の先祖代々の墓の一角を、現在の継承者から借り受け、8年前に病死した実母のために建立した墓石を綺麗にしました。

我が家の墓

共同墓地

地区の共同墓地がこの付近に3カ所ありそのうちの一番上の場所に、実父の生家の墓が有りました、その空きスペースに墓石を建立しました。

古い墓石

何度も訪れていましたが、最近まで全く気づきませんでした、我が家の墓石の隣に古い墓石があり、そこには元号が弘化二年七月と刻まれていました。

墓石を建立する前までは、この古い墓石の基礎部分が浮き上がり、斜めになり墓石が何時倒れてもおかしくない状態でした。

震災時被害なし

先の東日本大震災の前に補修しましたので、難を逃れました。

因みに、周りの共同墓地の大半は、墓石が倒壊しました。我が家の墓石は耐震を施してあるタイプですので、真逃れました。

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古い墓石1

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古い墓石2

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弘化2年

帰宅後、調べてみると、弘化二年は西暦1845年でした、幕末の12代徳川家慶(とくがわいえよし)征夷大将軍(11代徳川家斉またの名はオットセイ将軍の次男)の時代で、学校の歴史で出てきた天保の改革を行った水野忠邦が老中を辞職した年でした。

長い神仏の世界からすれば、短い歴史ですが、身近にこんな古い墓石が有ったなんて、誇りに思いますね。以後大事にしたいと思います。

西山院と刻まれていて、今となっては、末弟の実父が最長老のため謂われは不明なんです。

お墓事情

お墓を、分譲して頂くと墓石以外に多額の費用が発生しますよね。寺院などは土地代金ではなく永代供養料につき会費が滞ったり連絡がつかない場合は、撤去される場合が有るようです。これから求めるご家庭は大変だと思います。

幸いにして我が家の墓地は、永久に無料です、しかし実父の実家の継承者は、墓にはあまり来ないので、実質我が家で全部掃除する事になります、言い換えればだたで墓守をしていることになってしまいます。

あとがき

帰宅後、最大の儀式はお清めです、これが無くては終われません。
五臓六腑の隅々まで清まりました。

1990年代までは、土葬の習慣がまだ残っており、この墓地に自分が当番にあたり、3遺体の墓穴を掘りました。
床取りと言うなの役目が順番に回ってきます、当家に朝集合後、スコップを持ち4人の床取りが、墓地に向かい、約3時間で掘り終えます、木の根っこが貼りすぎているとのこぎりでカットしながらの作業は想像以上に困難なんです。
ましてや、同じ場所は勿論ですが、前回埋葬後、時間経過が少ないと、あまり見たくない光景を目の当たりにします。

掘り終えから当家に戻り、清めますひたすら清めます出棺まで清めます、そしてお宮型の棺を担いで、墓地まで行き埋葬しました。

最近は、火葬のみになりました、床取り人生に於いて、4度ほど順番が回ってきました、今となってはもう絶対に経験できません。良い思い出になりました。(勝手に埋葬するのは犯罪です)

しかし、土葬が禁止されたのではありません、未だに土葬を町役場に申請すれば、埋葬許可が出ます。
某AMラジオキー局で、某県の一部の地方のみで土葬の埋葬許可が出るとの放送を最近聴きましたが、必ずしも正解では有りませんね。

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