人生を振り返る|子供の頃編

記憶に基づいて、子供の頃を述べさせて頂こうと思います。兎角この手の話は、空想だと捕らえられても仕方ない場面のあるでしょうが、一時、目をお貸し頂きたい。

朝日2017-08

昨今の生活環境

今時の子供達は、家にこもりゲームなどで時を過ごすことが多いと思われますが、僕が子供の頃は、外で遊ぶのが当たりまえで、単独行動ではなく必ず、ガキ大将的存在の年上のものが居て、それに否応なしに従い、遊びました。

ゲーム世代に於いては、実際に殴られたり殴ったりが無いので、お互いの痛みが解りませんよね。

団体行動の是非は、賛否あるでしょうが、それに入らないと仲間はずれのいじめられっ子になります。まぁその中でも虐められますから、何れにしても虐められるのは当たり前の時代でしたね。

そんな、時代に生きてきた僕たちの世代からしたら、現在の子供の不幸なことと言ったら、可哀想になりますわね。

幼少期から、団体行動の中に身を置かずして、小学校に入り、いきなりの団体行動、それには先に述べたように、必ず発生するいじめ、いじめやすい子をいじめる、どうです。
間違いでは無いんじゃないですか、年上年下の関係を理解せずに、小学校での生活、そう言う子供達が団体行動に於いて、しっかり立場を理解しない子達の集団は、いじめる方もいじめられる方も、訳がわからず行動してしまうんではないでしょうか。

いじめの度合い(基準)が問題ですが、些細な事でもいじめだと言うのもどうかと思うし、その些細な事で、いじめと捕らえ不登校になるわけで、生活環境、特に親の躾そして付近の友達(ガキ大将含む)から学ぶ事が全く無くて、学校や教師に全部いじめの責任を押しつけるのは如何なものかと、常々思っているわけです。

そして、そのまま中学校へ進学しても、全く成長しないまま、いわゆるいじめが段々エスカレートして行くわけです。

僕たちの小学校の頃は、多少の体罰や怒鳴り散らされたりしたことはたいていの方は、あったのではないでしょうか。

最近の教育方針では、体罰禁止それが、いじめの温床になってるような気がしてならない、体罰がないのを良いことに、教師を甘く見るようになる、その結果、何でも有りになりいじめが横行するのでは、ないでしょうかね。

僕たちの中学の頃は、ビンタは当たり前で体罰なんて言わない愛の鞭の時代には、教師は神聖で師と仰ぐ正に先生様だったんです。
どんなに叩かれても、師は恩師なのです、家に帰ってビンタの話を親にしたら大変、「おめぇが悪いに決まってる」になるわけで、告げ口は一切禁句でした。

まぁ中には恩師と呼ぶに相応しくない不祥事を起こす教師も居るわけで、なんでもかんでも教師の言うことが正しいと躾けるのも、今はその限りでは無いことになってしまいますがね。

現在と環境が違うのは確かで、今時の子供は、学校の授業以外に塾に通わなくてはならず、子供達に過度な負担が掛かってストレスに成って居るのも事実であるわけです。

僕たちの世代は、当然塾などないし、自宅で学習は全くしない、学校の授業をまじめに受けていれば、そこそこの成績は、とれるわけでして、よって学校は学ぶところ、そして子供達同士で上下関係の躾け、これで生き抜いてきました。

そろそろ、今回は、終わりにしましょう。これ以上深く入ると問題も起きよう。

 

 

 

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