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独り言

定年退職|前職を少し振り返る

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9月30日付けで、定年退職しました。携帯電話の名義変更が済み、私物の搬出、手回り工具の貰い受け、2年しか使用してないデスクトップPCの社内機密データを削除後、貰い受けして、最終日を迎えました。貰い受けと言うと語弊があり訂正します。壊れるまでの借り受けとします。横領になりますからね。

一昨年から気持ちに張りがかなり薄れてしまい、端から見ると糸の切れたタコの如く見えていたと思います。早く定年退職の日が来ないかと思って居ましたが、いざその時が来ると複雑、そして寂しい思いで一杯になります。

しかし、どう思おうと来る日が来ればサヨナラするわけで、33年3ヶ月の務めも終了となりました。

創立当初

当然ですが、年齢から見ても新卒ではありません、中途での入社です。前職の先輩が独立する時に一緒に付いて二人で始めた弱小企業(企業と呼ぶに相応しくない?)まぁ始めたと言っても役員でもなく、投資したわけでもない単なる従業員でした。

数年間は、細々とそして、駆け出しだったせいで修行を兼ねての作業でした。
しかし世の中バブルへと進んで行くのでした。

バブル期

一通り仕事も慣れ、いわゆる一人前になっていく時のバブルは、大変忙しく休みは勿論無く、毎日残業し連夜の会食により、体が持ちこたえるか精神力が持続出来るかと思った時代でした。

2ヶ月に一日程度の休日でしたから、いかに働いたがお解り頂けると思います。

当時は、どんどん従業員(正社員)を雇い入れまた、協力会社や個人の職人を大勢来て頂き、売り上げを伸ばしました。報酬面で、当然ですが後から来る者には多額の報酬を与えます。そうしないと集まらない状態で仕方ないのですが、肝心の僕は蚊帳の外です。黙っているので触らぬ神に・・・だったと思います。

正社員12名、協力会社並び外注作業員10名~15名その内十数名は僕が取りまとめ、全社売り上げの半数を担当していました。

ある日、会食中に後から来た従業員の報酬の話を聞いてしまい、切れました完全に切れました。

年齢的に考慮しても技術的に考慮しても、差が有りすぎでした。その後の交渉で僅かな昇級が有りましたが、焼け石に水でしたね。

しかし、仕事は溢れるほどあり、抜け出すことなどとうていあり得ない状態でしたので、流れに身を任すしかありません。

バブル期その後

そんなバブル期でしたが、遂には弾けるわけで、世間では暇を持てあます方が続出していました。幸いにしてそこまでは落ち込みませんでしたが、影響はありました。

ようやく世間並みの休みも取れるようになり、相変わらずの低賃金が続きましたが、バブル期の勢いがないため賃金についての意見は凍結しました。
(最高年収数百万後半で止まりました大台の壁は遂に破れず)

消費増税5%

時は流れ、協力会社や外注作業員は、少しづつ離れて行き、正社員も仕事の少なさに気を使い退職して最後に残ったのは、僕の他に5名そこへ追い打ち、1997年消費増税の影響で最悪の仕事量になり、僕を含め2名が最終的に社員として残りました。この時点で退職して独立の道を歩むべきだったのかもしてませんね。

ただ、正社員だけの仕事量は、充分ありました。メンテナンス中心に切替れば売り上げは伸びなくても、そこそこ繋ぐ事は可能でした。

同時多発

少し時は流れ、2001年のあのアメリカの飛行機事件で更に追い打ち、最後に残った正社員の一人が退職してしまいした。

そんな時、社長の息子を入社させ、当然親が面倒を見ないで僕にゆだねる都合の良さ、将来社長になるんで有れば、気合いを込めて、望まなくてはならない立場でも、普段から甘やかされて育ったのであろう態度は、どうにも飲み込みが遅くて、教えるのにもこちらが、変になりそうでした。

社長交代(代替わり)

そして、それから15年の時は流れ、どうにか一人前までは行きませんが、7割程度の作業はこなせる状態まで行きました。

昨年、秋口に突然社長交代(いわゆる代替わり)となり、立場が天と地、彼は社長様で僕は下人に成り下がります。
それからお決まりの流れで、居づらいとてもじゃないが続けられないと思うようになりますが、中途半端で退職より、誕生日を迎えて60歳定年退職を選び、昨日最終日となりました。

あらすじになりましたが、追って詳細をお送りしたいと思います。

 

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